ドンキーホール

王子様の耳はロバの耳という童話を知っているだろうか。

子供のいない王族は、三人の妖精に子供が出来るようお願いする。妖精の力でお妃は子供を授かり、ついでに妖精は三つの贈り物をくれる。

1人目の妖精は美しさ、2人目の妖精は賢さ、他に授けるものが思いつかなかった3人目の妖精は、王子様にロバの耳を授ける。曰く、そんな欠点があれば威張らない王になるだろうと。

困ったのは王様。王子の耳がロバの耳だなんて知られたら、国中の笑い者になる。そういうわけで、帽子を被せる事にした。

やがて時は経ち、王子は美しく賢く育つ。勿論ロバの耳も立派に育つ。ロバの耳を隠す為、王子は一度も髪を切った事がなく、帽子の中は髪の毛でいっぱい。このままじゃいつ破裂するか分からない。

仕方なく、王様は床屋を呼び、ロバの耳について誰かに話したら首を刎ねると約束させる。ご心配なく、私は口の堅い男。自信満々に答えたものの、大きな秘密程言ってしまいたくなるのが人の性。

衝動に苦しむ床屋は教会に行って相談する。私は他言無用の秘密を持っている。これを誰かに言うと私は死刑になるが、しかし、一人で抱えるのはあまりに辛い。

神父の答えは、穴を掘ってそこに叫べというものだった。

神父の言う通りにすると、不思議と男の衝動は消え去り、心に平穏が戻る。しかし、またしても不思議な事に、後日、その穴から生えた葦が王子様の耳はロバの耳と歌い出し、羊飼いがその葦で笛を作ったからさぁ大変。

あっという間に秘密は国中に知れ渡る事ととなる。

このお話にはまだ続きがあるけれど、知りたいなら勝手に調べてくれ。僕の言いたい事を言うには、ここまでで十分。そして、ここからが本題。

 

口は禍の元というように、世の中には言わなければいい事が沢山ある。当たり前の事? そう、当たり前の事。だけど、世の中には当たり前の事が多すぎて、とても覚えていられない、守っていられない。今日も僕らは便座を降ろし忘れ、廊下の電気を消し忘れ、ドアを閉め忘れる。

脱線。でも、大事な事。当たり前の事を全て当たり前に出来たら、世の中の悪い事は全部なくなる。当たり前の事をきっちりやれる人間なんて一人もいないし、自分は違うと思うなら、思い上がりもいい所だ。

つまり、その最たる一つが、言わなくてもいい事を言いたくなる事。或いは、書く事。つまりは、誰かに伝えたくなる事。知って貰いたくなる事。共感して貰いたくなる事。共有したい事。人の性、或いは病、業か、欠陥。

SNSが普及している。ツイッターフェイスブック、そしてブログ。それはこの物語で言う所の穴だ。生きる事は辛い。辛い事ばかりではない。楽しい事は沢山ある。そうだろうか? それは人次第。それでも、辛い事のない人間はいない。

だから、愚痴を言いたくなる。おかしな人を見て、義憤にかられ、邪悪を正したくなる。新しく知った事を、新しい言葉を知ったばかりの子供のように見せびらかしてたまらなくなる。破廉恥な言葉を叫び、正義もなければ道徳的でもなく、道理に合わず、倫理観からも外れた事を言いたくもなるだろう。

言葉、言葉、言葉。僕らは言葉に支配されている。言葉なくしては想いを伝えられない。それは嘘。目で歌で、肌で性器で、僕らは想いを伝えられる。でも、言葉に縛られている人は多い。捕らわれている人が大半だ。

だから、僕らは僕らにとっての穴を必要とする。

SNSがる時代に生まれた事は幸運である。誰もがプライベートの穴を持ち、苦しみを、怒りを、遣る瀬無さを、その他諸々を共有し、すっきり出来る。けど、それこそが罠であり、間違いであり、過ちであり、罪でもある。

穴から葦が生えて歌い出すなんてのはインチキだけど、そもそもSNSは穴じゃない。誰でも見れるし、どこまで広がっていく、巨大な伝声管みたいなものだ。

そこで僕らは言わなくてもいい事を言い、書かなくてもいい事を書き、伝えなくてもいい事を伝え、広めなくてもいい事を伝え、一時はすっきりするかもしれないけれど、そのせいで誰かを傷付け、或いは自分を傷付け、傷つかなくとも、自分を歪め、他人を歪め、世界を歪め、貶める。特にツイッターフェイスブック、ミクシー、その他諸々のSNS

秘密の愚痴の筈だったのに、イイネ欲しさに変わる。もっと見て欲しくなる。注目して貰いたくなる。そうなると、愚痴は愚痴でなくなり、秘密は秘密でなくなる。自分は自分でなくなり、出てくる言葉は他人が求める言葉になる。イイネの為に小悪党に石を投げ、行動の伴わない演説を騙るようになり、神父モドキの説教を垂れ始め、自分は立派な人間だと誤解する。妖精よ、僕達にもロバの耳を授けてくれ。

そう願わずにはいられない。誰かのロバの耳を探して言いふらすような不毛の日々に飽きた人間がいる。彼は穴を掘り、そこに言葉を埋める。そこに歌う葦が生える事を知りながら。

つまりは、これが僕のロバ穴というわけ。

顔のない人間、誰でもない私。あそこではないここに、悪臭を放つ汚い言葉を埋める。ツイッターには書けない事、フェイスブックには載せられない事、他人の為ではない言葉を。僕の口から出る僕の言葉を。

願わくば、みんなも穴の恐ろしさに気づいて欲しいなんて事は思わない。その考えこそ、傲慢という奴だ。

願いはない。ここにあるのは、名前のない人間の埋めたただの言葉だ。